被災地に行かせていただいて

初めまして。私はサンリ治療院でスタッフとしてお世話になっている吉村の姉です。予め申し上げます。これから長文がはじまります。読みにくい箇所、わかりにくい言い回しがたくさんあります。大変失礼いたします。

今回、縁あって鍼灸レンジャーのボランティア活動に同行させていただきました。
2か月程前、はじめてお話をいただいたときは、私になにができるだろう、と不安が先走りました。
私は昨年6月まで手術室で3年と3か月看護師として働いておりましたが、手術室での業務で患者さんと関わる機会や時間は、手術に関連するものであったため、自分の看護師としての経験が今回のボランティアにどう生かせるのか想像できなかったのです。しかしせっかくいただいた機会だ、行こう!と決心しました。
そして私は、生き方をみつめなおす時間をいただくことになったのです。

17日の午前中、初めて仮設住宅に行きました。テレビのニュースでみた、仮設住宅です。住んでみえるのは震災の津波で家が流されてしまった方々です。自身の表情が硬くなるのに気づき、気持ちを切り替えて車を降りました。
準備を整えて、白衣を着て、問診票をもとにお一人ずつお話をきいていきました。はじめると同時に当初抱いていた不安は吹き飛びました。
周りの人々を笑わせるキャラクターの方、体の不調について辛そうに話をされる方、様々な方がみえました。楽しい会話に思わず笑ったり、辛そうな部分に手を触れたりしてのどがカラカラになりながら会話をしていたのですが、話の中で「流されてからは…」という言葉を聴く度に「目の前のこの人は、その周りに座っている方は、みんな津波で家を流されたんだ」と辛い気持ちになり、曇った表情を問診票をみるふりをしながら何度か隠しました。

はじめてこんな気持ちになりました。テレビで仮設の様子を見ると大変だなという気持ちが湧き上がりましたが、直接自分がそこへ行って仮設住宅に住んでみえる方とお話をするというのとでは心へのくいこみ度合いは全く違いました。そこにはリアル、現実がありました。自分と同じ、人が、そこにはいました。

岐阜に戻ってから私は、今回訪れた南三陸町、山元町の津波の映像を見ました。そこにはあの「時」がありました。恐ろしい、そして悲しいその「時」がありました。
自分の生活する場所は、人それぞれありますが、自分にとっての「大切なもの」はみんな同じです。
「突然震災で自分が生まれ育ち生活している場所が無くなったら」と想像することはできても、実際に経験した方々と真に共感することは決してできない、と強く感じました。
そこでみえたものは、自分がいかにうわべだけで震災をとらえていたか、ということです。
震災が起こったあの時、私は当時住んでいた長野県松本市で手術室にいました。ぐらぐらと揺れる手術室で「こんなに揺れてる、どこかで大変な被害がでていないだろうか」と思っていました。
約40分後、休憩室で津波が田畑を突き進んでいる中継映像が流れていました。別の中継場所の映像では粉々になった家々が巨大な水たまりの中に浮かんでいました。すでに津波が押しよせて水没している町の様子でした。「ここにいた人たちはどうなってしまったのだろう」―今までみたことのない光景を混乱した状態で見ていました。その日の夕食は外食でしたが、暗い気持ちで食べました。自分が住んでいる町はいつもと変わりなく在り、食事も普通にでてくる。昼間みた映像が頭を離れず、普通でいられる自分を申し訳なく感じていました。
自分になにができるだろう、見つけた答えは「自分の仕事をしっかりやろう、感謝のきもちとともに生活を送ろう」でした。新たな決心とともに歩み始めました。
でも、日々様々なことがあり、そうは思えない時間もありました。そして震災のことを思いだす機会もほとんど無くなりました。

そんな私が宮城県に行かせていただいていました。
現地へ行き、家の土台だけが残る南三陸町、山元町を見ました。南三陸町は、南三陸町で生まれ育ち現在は仮設住宅に住んでおられるOさんに案内していただきました。「ここにもたくさん家があったんです」「あそこに(私の)家があったんです」「ここで津波が止まったんです」…私はただただ目の前に広がるなにもない景色と過去に家々が町があったという現実を想像してそして、人々と出会いました。私は自分を振り返る機会とこれからどうありたいか考える時間をいただきました。

得た学びは、「関心から行動が生まれる」というものでした。
ある出来事・問題があるとして、それに関心がない場合は、その人にとってその出来事・問題は無いも同然。
関心があれば、遠い場所のことでもまるで自分に起きていることのように感じ、それに関して興味をもち調べるという行動をとる。
私は今回東北へ行かせていただいたことで後者の立場をとっていました。

震災に関連する様々な問題について調べ、自分の考え、意見をもとうと思います。
自分がそうあることで、自分に関わりある人にそれを伝え、関心の輪を深め広げることができると思います。
より多くの目が東北に向くことで、関連するさまざまな問題に関してより血の通った解決策が選択されるようになるのではないかと思います。

~心に残ったこと~
震災で自分の住む町が津波被害を受け、家を失い、仮設住宅で生活を送っている方々の中に、癌の療養中の方がみえました。仮設に住んでいらっしゃる方々は皆、仕事や健康など様々な問題を抱えており、そのひとつひとつに優劣などつけられるものではありませんが、非常に負担を抱えている方々がいるという事実を知りました。一人一人抱える事情は違い、平等な対応ではとても対応しきれない状況が現実にあり、より丁寧な対応が必要であると感じました。
はたからでは知りえない深刻な問題を抱える人を、いかに孤立させないようにできるか。私はその答えの一つを、今回のボランティアを通してみつけられた気がします。
鍼灸治療を受けるということは、他人に体に触れられるということですが、体に触れるというのは「外界とのつながりを感じる一つの手段」であると思います。そして言葉とは違う種類の安心感をもたらします。
病気を抱える人は、とても孤独です。苦しみは自分のものであり、どんなに身近な人が心から心配し寄り添っても、実際に苦痛を受けるのはその人だからです。癌の身体をもつのは自分自身でありその身体的苦痛は他者と分け合うことはできません。
それでも苦痛を抱えていると知ってくれている人がいるというのは苦痛の闇を照らす光となりその孤独を和らげるのではないでしょうか。
話をしましょうというとなかなか身構えてしまうのに、なぜ鍼灸治療を受ける中で自然と言葉がでてくるのか。それは体に触れられることで外界とのつながりを無意識のうちに感じながら、鍼灸治療により苦痛が軽減されたり緊張がほぐれたり気持ちがいいという経験をすることで、心の緊張がほぐれるからでしょう。鍼灸治療は、癌を抱えている精神的不安を軽減する力ももっていると感じます。

被災された方々は、自分の生活してきた場所を失い、大きな生活環境の変化を強いられました。震災前は身体の不調はなかったが震災後の環境の変化で体調を崩される方々が多くみえました。
その中で、持病を抱えてみえる方々の負担はより深刻となります。
患者の状態をわかっているのは家族などの身近な人や、治療の場である病院の医療従事者です。しかし患者を支えることができる立場のその人自身も被災者であるため、環境の変化に伴う様々な精神的負担、不安があり、患者とその家族をとりまく状況はより過酷であろうと思います。
私は母親に癌がみつかり、亡くなるまでそばで身の回りの介助をしてきました。大切な人が苦しむのをそばでみている悲しみは筆舌しがたいものでした。
家族にとっての安寧は、癌を患う家族の苦痛が和らぐこと。
鍼灸の治療により、患者本人も、その家族も、心と身体が癒されたのではないかと思います。

長くなりましたが、最後に今回東北でお世話になった皆様、出会えた皆様に心から感謝を申しあげます。
今回の経験のおかげで、心に大きな宝物をいただきました。自分の中で大切にしたいこと、これからやり続けたいことがみつけられました。遠くはなれていても、心は東北に向いています。自分が変わりここからはじまる、そんな確信で今心が満たされています。今回の経験をいかし、私は行動します。

そしてこんな自分になれたのもすべて鍼灸レンジャーのみなさんと行かせていただけたおかげです。本当に幸せです。ありがとうございました。
次回もお邪魔でなければ是非参加させてください。また会える日を楽しみに、日々自分にできることをやり続けます。

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