2011年東日本大震災支援の記事 (1/10)

復興の差 (その二)

2017年 9/19(火)
【訪問場所】 福島県田村市、福島第一原発周辺


この日は朝から、福島県田村市にあるNPO団体事務所での活動でした。
こちらは震災直後に入ったボランティアでのご縁がつながり、今回が3回目の訪問になりました。

お灸教室田村市201709

まずは、集まられた皆さんに「お灸教室」と称して、お灸の使い方をレクチャーします。
その後、希望の方々に、個別の鍼灸施術と、お灸やローラー鍼を使ったセルフケア方法をお伝えしていきます。

施術風景201709

今回はじめて施術を受けられた方、
前回の施術後、また楽しみに待っておられた方、
前回はお試し程度で、今回はしっかり施術を受けられた方、
それぞれに鍼灸を体感してもらい、セルフケアの方法もお伝えしました。
実際にセルフケア用品を手に取って、熱心にポイントとやりかたを聞かれる様子が印象的でした。
一度行っただけではなく、継続して訪問することで、その良さを知ってもらえることもあるようです。

そして、他の被災地と違って、特別ここで聞こえてくるのが、放射能の話です。
放射能については、様々な意見や考えがあるかと思います。
私の知る限りでは、身体に及ばす影響はまだ分かっていないことも多いように思います。
内部被曝のこと、数世代先に影響を及ばすかもしれない将来のこと、前例とは状況も異なり比較できないこと。(病気、身体について、わかってないことも多いので当然でしょう)
見えないものですし、すぐにその影響が表れないものもあるので、見過ごされたり、忘れられてしまうものかもしれません。
かといって、そこに暮らす人々にとって、また日本中に原子力発電所がある以上、誰にとっても無関心ではいられないことです。
福島県内には、未だ帰還困難区域があり、ホットスポットがあるのも事実です。
これから先も関心を持ち続けなければいけないと思います。

内部被曝については、食品に対する不安があります。
「福島県産」と言われると、つい敬遠したくなるかもしれません。
しかし、福島県産で流通に乗るものほど放射線量は厳しくチェックされています。
意外に、その他の産地のものに放射線量が高いということもあるのです。
間違った誤解が、被災地の人を苦しめることにもなります。
他者の為を思うなら、「知る」ということも大切に思います。

私は楽観的な方で、わからない不安なことには、目を背けるところがあります。
放射能被害についても、あまり考えないようにしたり、程度の問題によると思っています。
ただその考え方の違いに、軋轢が生じることもあります。
事実、家族が離れて暮らすこともありますし、そのまま戻らないこともあるのです。
それは、単純に肉体的にどう影響があるかないかでは済まされない問題です。
施術中に聞いた、
「精神的な影響が大きいですよ」
という被災者自身の言葉が、それを物語っていました。


活動終了後に、帰還困難区域の周辺を車で回りました。
福島第一原発のある大熊町と双葉町、そして富岡町、双葉町、南相馬町を、南北に走る国道6号線があります。
車両での通行は可能なのですが、そこから東西に入る道には許可書が必要だったり、建物にもバリケードがあり自由に入ることが許されていません。

帰還困難地域201709

今まで私たちがボランティアで訪れていた地域とは、随分違う風景が広がっていました。
この状況を見ると、私たちが住む環境がいかに恵まれているか、身につまされます。

私たちのすることは本当に微々たるものです。
けど健康であることが、その人の暮らしを支えてくれます。
ほんのわずかでも健康の役に立ってもらえればと思います。
そしてそこから何か良い方向へとつながって貰えればと願います。

(森川真二)
 

復興の差 (その一)

震災から6年半、はり灸レンジャーとしては16回目の東北訪問でした。
今回の訪問では、いくつか復興の差を感じました。

2017年 9/18(月・祝)
【訪問場所】 宮城県山元町


今回は私たちと現地団体の都合が合わず、活動は見送り、セルフケア用品のお灸などとお手紙を届けることになりました。
その道中、周辺の復興の様子を見て回りました。

山元町は、震災直後から訪問を続けています。
はじめて訪れたとき、建物から道路や線路まで、何もかもが流されてしまい、道路は冠水、瓦礫や遺留物が積み上げられた状態でした。
そこから、更地になり、土壌の入れ替えあり、新しいビニルハウス(東北一のいちご生産高でした)の建設があり、新しい道路や線路がつながっていく経過を見てきました。
そして前回訪問時(震災から5年の東北)には、内陸に移設されたJR常磐線新駅が建設途中でした。

それが、今回の訪問では、新しい駅、新しい街が完成していて、人々の営みを感じることができました。
新坂元駅に訪れたとき、ちょうど電車が入ってきたときには、感慨に耽りました。

新坂元駅201709

山元町は、この新坂元駅、新山下駅、宮城病院周辺に、新しい街づくりが行なわれています。
公営住宅も、私の知っている神戸のマンション群と違って、平地に一戸建ての住宅街が広がっているのは特徴的でした。
マンションよりは、その人の生活が見えていいように思いました。


その一方で、ボランティアのたびに毎回訪れているのが、旧山下駅。

旧山下駅201709

この駅前には、商店街がありました。
津波で流され、その面影はもうありませんし、戻ってきていません。
(山元町は平野になっていて、町一帯が広く大きな被害を受けました。)

旧山下駅線路201709

線路も流され、ホームの一部だけが残ったままなのがわかります。
ここ数年、そこには変わらぬままの風景が残っていました。
新しい街ができる一方で、再建が難しく、人が戻って来ない地域もあるのです。

その旧山下駅前には、慰霊碑が建てられていました。
被災時の様子や犠牲者の御芳名が刻まれています。

慰霊碑山元町201709

「津波浸水高は最大で十三メートルを超え、
海岸から三・五キロメートルの内陸まで達し、
浸水面積は約二十四キロ平方メートル、
町域の四割近くにも及んだ。」

その被害の大きさを改めて知らされます。

その後、震災直後に現地の方に案内してもらったように、中浜小学校を訪れました。

中浜小学校201709

津波が2階天井まで浸水したものの、その上のシェルターのような屋上に避難することで、児童や先生全員が助かりました。

宮城県公式HP
震災を乗り越えて
山元町立中浜小学校のケース

「2011.3.11
東日本大震災
津波浸水深ここまで」
という青い看板が、その脅威を表わしています。

中浜小学校浸水深201709

こちらは、震災遺構として保存が進められているようです。


地元のニュースでも「JR常磐線開通」などの、復興の知らせが耳に入ってきます。
そして、新しい街だけを見れば、街の概観といったハード面は、やっと復興してきているようにも感じました。(それも震災から6年半です。)

ただ、実際に現地を訪れてみると、復興が進んでいない地域も見えてきます。
さらに、阪神・淡路大震災でもそうだったように、人々の暮らしといったソフト面となると、いくつもの課題があることでしょう。

私たちも、復興のニュースを聞いてや、街ができたから終わりではなく、実際の人々の様子はどうなのか?という視点を持って、これからも活動を続けていきたいと思います。

(続く)

(森川真二)
 

福島県に通う意味

 福島県の田村市を訪問するのはこれで3回目です。今回は1か所のみの治療訪問であったため、比較的ゆったりと治療でき、また皆さんとお話を交わすこともできました。

hunahashi201709

 私が治療したのは4名の方々です。そのうちお二人は「ケアステーションゆうとぴあ」の障害当事者で、お二人はヘルパーさんでした。障害があるお二人は、身体上のハンディキャップを持ちながら地域での生活を送っています。
 今回、ヘルパーさんがたのお話を興味深く聞きました。
 お一人は原発事故を受けて転々と避難しているうちにご家族の調子が悪くなり、家庭内で介護をすることに。それをきっかけにヘルパー研修を受けたとのことです。もとの職場は原発事故により閉鎖されています。
 別の方も震災後にいまの仕事を始めたそうです。原発事故の直後、放射能を避けていった先が「ホットスポット」(放射能濃度が高い地域)だったなど。生々しいお話でした。
 こういった話は、新聞・テレビなどメディア上でしばしば目にします。しかし、実際に治療をしながらお話を聞かせてもらうと粛然となります。目の前の人が実際に福島の地で生活をつづけている事実に打たれるのです。
 
 治療後、時間に余裕があったので「はり灸レンジャー」の3人で沿岸部へ車を走らせました。郡山市や田村市は内陸部に位置し、いわゆる福島県の「中通り」です。そこから福島第一原発がある「浜通り」まで、ゆうに40キロはあり、山道のドライブです。
 田村市から一路、東を目指すと突き当りが双葉町ですが、ここは現在も自由に入ることはできません。ましてや我々のように外部の者は通行許可証がありませんので。そこから南に進路を取り、大熊町を抜け、富岡町に入るとようやく規制が解除されます。そこで東に向かうと、常磐自動車道の高架をくぐり、国道6号線に合流できます。この国道6号は南北に走っていて、通行可能です。とはいえ、たとえば帰宅困難区域に指定されている双葉町に向かう枝道には進入できませんし、国道沿いのお店も閉鎖されています。放射能の濃度が高いのです。

ookumamati201709

「これが福島の現実だ」という思いを新たにします。同じ日本の中にこのような地域が依然としてあるのです。
 
 2011年3月11日。あの地震の映像を見た多くの人々は戦慄し、言葉を失ったことでしょう。なにか被災地のために出来ることはないかと多くの方が思い、実際に行動したはずです。 
 私たち「はり灸レンジャー」も2011年5月の連休に初めて東北入りし、それ以来10数回にわたり鍼灸治療のボランティアを続けてきました。実際に現地に足を運ぶこと、光景を自分の目で見ること、被災者の言葉に耳を傾けること。そこでしか学べることが無いからです。
 今年の9月11日で、震災発生から6年半が経ちましたが、マスコミの扱いは小さなものでした。それは時間の流れとして仕方がないことかも知れません。しかし、現地の方がたと縁を結んだ私たちは今後も東北を訪れることでしょう。
 この段階になると外部からのボランティアができることは本当に限られています。被災者の力になる、なんていうのはおこがましいです。むしろ被災地の変わり様を学ぶという謙虚な立場を持つべきだと思われます。今回の福島県田村市の訪問を通じて、改めて現地訪問の大切さを感じ入りました。
 私たちを受け入れて下さった「ケアステーションゆうとぴあ」の皆さんに心から感謝いたします。

(はり灸レッド 舟橋寛延)
 

16回目の東北訪問予定

前回の熊本訪問から、すっかりご無沙汰してしまいました。
現在、来月9月の東北訪問へ向けて準備しております。

今回は、メンバーや現地団体との都合も合わず、少人数、短期間の訪問になってしまいました。
お互い無理なく、細く長くの支援を心がけて。。。

9/18(月・祝) 宮城県 亘理郡 山元町
9/19(火)  福島県 田村市

の訪問予定です。

活動内容などはまた後日、ご報告いたします。
よろしくお願い致します。
 

第15回東北訪問

はり灸レンジャー、グレー鈴木です。
第15回東北訪問に参加しました。石巻で予定されていたイベント「にょっきりフェスタ」が雨天のため中止となり、活動先の変更もありましたが、天気も大荒れせず、道中無事に終えることができました。今回も受け入れてくださった皆さんに感謝します。ありがとうございました。

震災から5年半が経った現在、以前仮設住宅での生活を強いられている被災者は多いものの、徐々に仮設住宅から災害公営住宅などに移って行く人々が増えているようです。

今回訪れた南三陸町の入谷福祉仮設住宅でも以前より利用者が減っているように感じました。
そんな中、南三陸町や気仙沼市などでは異常とも言える高齢化が進んでいるようです。
メディアなどで様々報道されていますが、被災者の中でも若い家族は仕事や教育の充実した都市部に移住したり、また避難先にもう5年以上住んでいるので生活のベースができてしまい、そのままその土地に根を下ろして元の被災地に戻って来ないとか。
仕方がないと言えばそうですが、何とも心苦しいですね。

高齢者の中には一人暮らしの方も多いと聞きます。孤独死や精神疾患を防ぐためにも新たなコミュニティ作りが重要だと言います。昔ながらの開けた日本家屋とは違い、集合住宅型の災害公営住宅ではコミュニティを作って行くにはそれなりに難しいとか。それでも現地のおじいちゃんおばあちゃんが率先して、みんなが集まりやすいように集会所を工夫したり、お茶会などを開いたりと努力されてるようです。

福島の原発被害のことも合わせて考えると、こんなにも多くの難しい問題が後を引くなんて、、、、、あの震災は本当に大きく重いものなんだと感じています。

入谷福祉仮設住宅201609
(入谷福祉仮設住宅)
 

震災から5年半の訪問。ボランティアとして願う事

はり灸レンジャーの清水です。
私がはじめて活動に加わったのが2010年の9月。
それから5年という個人的な節目に、また東北を訪問することが出来ました。

今回訪れた福祉仮設への訪問回数はなんと10回目。
施設に入居されている方やスタッフさんたちとも気軽にお話が出来る関係となっており、
前回の施術後の体調の変化から入居者さん達の近況まで話に花が咲きました。
(私が今回施術させていただいた方は、はり灸レンジャーでお配りしているローラー鍼を母子で愛用しているそうです。そういった嬉しいお話を伺えるのも継続訪問の醍醐味です。)

5年半も経つと、どの方からも震災について直接お話を伺う機会は少なくなってきました。
私たちが伺った地域では復興住宅への転居が進んでおり、仮設住宅の閉鎖も近いだろうとのことでした。
しかし、まだまだ続くインフラの建設や、人口の減少といった問題はこれからも続く課題です。
ご主人が地元で土木建設に携わっている奥さんの悩みや、のぞむ仕事先や進学先を求めて町から出ていくお孫さんについて語るおばあちゃんのお話を、施術中に伺いました。
ぼんやり知っているつもりでいたニュースも、より生々しくショックを感じます。
それは、ボランティア活動を始めた当初から変わらずあります。
こうした震災というものがベースにある様々な問題は、きっかけは一つでも、家族や仕事、進路などそれぞれがとても個人的なことでもあり…これからも向き合っていかなくてはいけない事ばかりです。

私達ボランティアは、ほんの一瞬しか関わることしかできませんが、その一瞬でも、体と一緒に心もホッとする時間となっていたらいいな、と思いました。

入谷福祉仮設住宅201609

(清水)

震災から5年の東北

 はり灸レンジャーブルーの森川です。震災から5年、はり灸レンジャーとしては14回目、自身としては10回を超え、もう何回目かわからない東北訪問となりました。

 今回の訪問先は、共に震災直後から通い続けている、宮城県の南三陸町と山元町、そして前回に引き続き、福島県の田村市です。宮城県の南三陸町と山元町は、宮城県内の人口減少第2位と3位に当たります(宮城県沿岸部の人口増減 南三陸町29.0%減、山元町26.3%減 ※H22年とH27年国勢調査比較)。 この順位は、犠牲者の多さ、住宅再建の遅れなども表しているのでしょう。

南三陸町防災総合庁舎201603
(宮城県南三陸町志津川の防災庁舎。
その後ろに見えるのが盛り土で、そこが地面になります。)

 また、仮設住宅や公営住宅の立地の悪さから、仕事がない、学校へ通いにくいなどで、流出するのは若い世代が多くなります。そうすると長年暮らしてきてその土地を離れたくない高齢者が残り、高齢化率も高くなります(宮城県内の高齢化率 山元町35.7%(4位)、南三陸町32.0%(9位) ※2015年3/31現在)。 少子高齢化で、地方の将来モデルとしても、今後の復興(町づくり)が期待されています。

 特に山元町では、訪問先がデイサービスということもあって、高齢化を肌で感じます。80、90歳超えの利用者さんも数多く見られます。そこで思うのが、もっと鍼灸治療を受けることができればなぁと。治療を受けられた全員の方に感じました。中には、隣町の鍼灸接骨院などに通われている方もおられましたが、近くにはないようです。運動器疾患も少なくないので、その痛みや可動域が改善されるだけで、随分過ごしやすくなるように思います。

 また、山元町に限らず、職員さんもかなりの疲労や不調が、見受けられます。痛みやコリはもちろん、動悸、息切れ、高血糖など、内科的な不調が気になります。心臓の反応が強い方も多かったように思います。阪神大震災後も、心疾患、脳卒中などの血管障害などが増えたことは報告されています。なので、定期的に治療を受けてもらいたくなりますが、そういった手段は少ないようです。病院などへのアクセスの悪さは過疎地特有の事情があります。となれば、セルフケアを続けて頂きたいと切に願います。

セルフケア(お灸)教室の様子201603
(お灸を使ったセルフケア教室の様子。)


 そんな心配の中にも、復興の兆しを垣間見ることもできました。山元町では、沿岸部沿いにあったJR常磐線が、内陸に移設され、その新駅を周辺に新しい町ができようとしていました。
山元町新市街地復興まちづくり通信

山元町新駅周辺20160323
(山元町坂元駅の周辺。
この北側には、新しい住宅群が建設途中でした。)

 新駅の周りに、道路、住宅、公園などができ、新たな町ができ始めようとしていました。そして、震災前からあった産業、イチゴ栽培も盛んになってきたようです。今回のボランティア中も、「今朝、イチゴの収穫をしてきました」とお話をお伺いしました。その方は腰が悪かったのですが、「今は、かがまなくても収穫できて助かっています」と教えてくれました。従来のように地面に栽培(土耕栽培)ではなく、立ったまま収穫できる高設栽培のようです。他にも温湿度管理、害虫管理など、最先端の栽培技術が導入され、かつてのように重労働ではなくなってきているようです。この山元町には、そういった農業で産業を興こし、雇用も生み、地域を活性化させようとしている会社もあります。
GRAアグリプラットフォーム / 農業生産法人 株式会社GRA

 被災地に限らず、こういった先端技術を駆使することで、過疎化、高齢化問題を解消する糸口となればと思います。「少子高齢化だからもっと子供を!」よりも、少子高齢化でも存続できる社会を期待します。


 ちなみに、この山元町では、箱いっぱいのイチゴをお土産にいただきました。(他の訪問先でも地域の名産など、いろいろお土産をいただきました。) 熟しすぎたり、形が悪かったり、大き過ぎたり、製品にならないものでしたが、味は申し分ない美味しさでした。「東北のイチゴの方が美味しいよ」と地元関西の患者さんにも言われました。傷みやすい果物だけに、現地に行ってこそ食べられる幸せを感じます。またこの時期に伺って、美味しいイチゴをいただきたいと思います!

(森川真二)
 

震災から5年、ゼロからプラスへ。

はり灸レンジャー、グレー鈴木です。2016年3月、第14回訪問に参加しました。今回は宮城県南三陸町、登米市、山元町、福島県田村市を訪れました。

私自身として、はり灸レンジャーの参加は2014年3月からで今回が4回目。震災直後の悲惨な状況は実際見ることはできなかったですが、2年前に訪れた時のほぼ更地だった場所が次第に変わって行く様子を知ることができています。南三陸町では海岸近くの低地部では盛り土をして土地のかさ上げ工事が進んでいます。前回の訪問時(2015年9月)より更に工事は進み、もう以前の道路や地形がわからない程になっていました。また、南三陸町では(というか多くの被災地が同じ問題を抱えているようですが、)人口の流出が大きな問題になっているようです。特にこの時期、卒業生や新入生の人数を聞くと、改めて実感するようです。個人的にはせめてJR線の復旧が決まれば、、、と願うのですが。

山元町では平地部が多く、南三陸のような盛り土などの工事は見られません。今回は新しい住宅地の整備や建設現場が目につきました。JR常磐線の駅や高架の工事現場も見ることができました。訪問先では名産のイチゴ もいただき、復興に向けての力強さを感じました。

福島県田村市では宿泊先でもお世話になりました東山さんをはじめ、ゆうとぴあのみなさんともたくさんお話しさせていただきました。やはり気になるのは放射線被害ですが、みなさんの話を聞くと"実際どのくらい影響があるのか、色も形も臭いもないのでわからない" というのが正直なところで、不安の中での生活を余儀なくされているようです。原発問題は日本でも世界中でも議論されていて、それぞれの立場でそれぞれの意見がありますが、私も今後注意深く見て行きたいと思います。

震災からちょうど5年ということで、3月11日が近づくとテレビやラジオなどでは各局特集を組んて番組を放送していました。様々なテーマが取り上げられる中、あるラジオでは被災地ボランティアのニーズの変化をレポートした番組がありました。そこではボランティアのニーズはまだまだたくさんあるとした上で、、"これまではマイナスからゼロに戻す支援だったがこれからはゼロからプラスにする支援に変化している" と言っていました。地域のコミュニティや地場産業など元通りにはならないものもあると思いますが、新しい東北がより良い場所になるように願っています。また微力でもそのお手伝いができればうれしいと思います。

今回も受け入れてくださった方々に感謝します。ありがとうございました。

IMG_04239.jpg
(ケアステーションゆうとぴあ にて)

第14回訪問 (2)被災地現地の支えあってこその活動

はり灸レッド舟橋の報告2日目です。
2日目は、宿舎としてお借りしている「奏海の杜」のスタッフさんの治療を午前にしました。
震災から5年、ずっと突っ走ってきたメンバーさんの中には体調不良が常態化している方もいて、懸念されます。震災からこっち、待ったなしで次々と状況に合わせて活動されてきたその疲労が心身ともにピークに達していることが見て取れます。日々忙しいなか、体のケアも不十分になるでしょうから、私たちの訪問が良い機会になったのではないでしょうか。
お昼前に登米市の宿舎を出て、東北道を利用して一路南下、福島県の田村市に向かいました。2015年の秋以来ご縁ができた障がい者団体「ゆうとぴあ」の訪問です。
昨年初めてお邪魔したときは休日だったせいもあってか一部の方がたの治療のみでしたが、今回は知的障害の方など、多くの通所している皆さんの前で簡単なお灸教室を開催できました。通所している方から治療の依頼もあり、ここでも幾人かの治療ができました。
田村市と聞いてもピンとこないかも知れませんが、東へ数十キロいけば双葉町、大熊町、浪江町と福島第一原発の近くです。幸い風向きのかげんで田村市に降り注いだ放射能は比較的少ないとのことですが、生活のなかで折に触れ感じることはあろうかと思います。
昨年の訪問の際にも感じましたが、実際に現地に足を踏み入れる意味はとても大きいです。単にマスコミで報道されている福島県の事情は、「大変だ」と感じながらもどこかしら他人事、遠い地の出来事と感じるのはいなめません。しかし、その地で暮らす人々と実際に縁を結ぶと他人事ではなくなってきます。

こうして、私は一足先に「ゆうとぴあ」さんの最寄駅「船引駅」からローカル線で郡山に出て、3/22(火)夜の新幹線で帰省しました。
今回はレンジャー3人の訪問ということもあり、治療できた数は決して多くはありませんでしたが、その分、いつも以上に丁寧に皆さんの声を聞けました。今回も有意義な訪問でした。
NPOのある職員さんがこう言って下さいました。
「いつも(被災地のことを)忘れずに、こうしていらして頂き本当にありがとうございます」
ありがたい言葉であります。同時に私たちの活動はそういったNPOの皆さんの支えなしには根無し草になってしまいます。お礼を言うのはこちらの方です。遅ればせながら、今回、いろいろ現地で調整して下さった皆さん、治療を受けて下さった方々にお礼を申し上げます。ありがとうございました。そして、また秋にお目にかかりましょう!

お灸教室

(舟橋)

第14回訪問 (1)変わりゆく南三陸町

2016年3月のお彼岸連休を利用して、はり灸レンジャー第14回目の訪問治療を行ないました。
今回、わたし舟橋(はり灸レッド)は、往復新幹線を利用し、1泊2日のショート訪問でした。

初日、3/21(日)に宮城県の北部にある「くりこま高原」駅で他のメンバーと合流し、レンタカーでまず南三陸町に向かいました。
治療まで少し時間があったので、まずは復興工事に湧き立つ沿岸部の様子を見ることにしました。津波にかぶった沿岸部は危険区域ということで居住は許されません。この1~2年、すさまじい勢いで盛り土工事が行なわれ、道路も以前より高いところを通っているので、不思議な感覚に襲われます。
沿岸部から少し北上し、当時避難所になったベイサイドアリーナの近辺では、新しい医療センターも台湾の義捐金を原資に竣工し、また5~6階建てに見える復興住宅も建設のピークを迎えています。被災自治体のなかで、住宅再建がかなり遅れていた南三陸町もようやくゴールが見えてきたか、という感じがします。

治療は、沿岸部からかなり入った里山にある「入谷福祉型仮設」で行ないました。この福祉仮設とのおつきあいは本当に長く、2011年の秋以来、10数度の訪問になるのではないでしょうか。
以前は平屋で2棟あった福祉仮設ですが、入居者の方々も徐々に引っ越しをされ、現在は1棟しか使用していません。それもつい最近まで入居者数が5人になっていたそうですが、つい最近、他の福祉仮設から移動してきたお年寄りが3名いらっしゃり、現在は8名です。そのうちのお一人の治療を舟橋が実施しました。
新しい環境に戸惑いながらも私たちの治療を受け入れて下さり、個人的には嬉しく思いました。この方が以前に入っていた仮設住宅は、南三陸町のお隣にある登米市の南方(みなみがた)仮設です。統廃合によって南方の福祉仮設は閉鎖されたのです。そこは街中なので、接骨院もあるし、散歩もしやすい地域ですが、いま住んでいるここ入谷仮設は周囲にお店もなくさみしそうでした。なによりお年を召した方がたにとって環境の変化はこたえると思われます。今回、高台移転や道路工事など目に見えて変わりゆく町と対比され印象に残った治療でした。

ところで、この入谷福祉仮設は現在、NPO法人「奏海の杜」(かなみのもり)さんが町から委託を受けて運営しています。
奏海の杜さんとのつきあいも4年半になり、いつも登米市の事務所では宿泊のお世話になっています。震災後、小さなグループから始まった活動が、こうしてNPO法人として委託事業を受けるまでの組織になったことに応援団の一人として本当に嬉しく思います。
「奏海の杜(かなみのもり)」ブログ 

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(舟橋) つづく